菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

 延享3年(1746)8月21日から大阪竹本座で初演。竹田出雲、並木千柳、三好松洛、竹田小出雲作。「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)」「仮名手本忠臣蔵」と並んで三代名作と言われ、初演時は二ヶ月あまりに渡って大入であった。なかでも、「寺子屋」は本作の代名詞に用いられるほど、全段中最も多く上演され、構成・演出ともに優れている。

《あらすじ》(門前の場)菅原道真は藤原時平の讒言により、無実の罪で太宰府に流罪となる。(車引の場)吉田社頭で出会った道真の舎人梅王丸と、弟で三つ子の一人桜丸は、同社へ参詣に来た時平の牛車に襲いかかるが、三つ子の一人で時平の舎人松王丸に妨げられ、引き下がる。(賀の祝)三つ子の父・白太夫の七十歳の賀の祝にやって来た梅王丸と松王丸は先日の吉田社頭の遺恨から喧嘩を始める。梅王丸は父に九州で道真の世話をしたいと言い、松王丸は勘当して欲しいと頼む。白太夫は怒って二人を追い払う。桜丸は、恋の取り持ちが道真に禍した責を負い切腹する。(寺子屋)道真の家臣、武部源蔵夫婦は寺子屋を開き、道真の一子、菅秀才をかくまっていた。しかし、時平方に見抜かれて召され、その首を討って渡せと命じられて帰宅する。身代わりとして、新入門の子の首を討って、検視役の松王丸に見せるが、見破られずに済む。しかし、松王丸は首を持ち帰った後に再び源蔵方を訪れ、新入門の子が我が子であったことを語り、自分たち夫婦の悲哀を嘆く。(大内)大内には天変が起こり、時平をはじめ、悪人達は雷神により殺され、菅秀才は菅家を相続し、道真は天神として祭られた。

《首実検物》首実検物には他に『近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)』の「盛綱陣屋」、『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』の「熊谷陣屋」などがある。身代わりとして差し出されるのは検視役の肉親など、身近な人物の首である。検視役は眼前の身近な人物の首を見ることに耐え、その首を本物であると言わねばならない。首実検の場面には、極限状態まで追い詰められた人々の悲哀が鋭敏に描かれ、現代では理解し得ないはずの身代り悲劇への感動は、なお生き続けている。