「金華七変化の内」文字翻刻
〔猫間後室(ねこまのこうしつ)烏羽玉(うばたま)〈5〉坂東彦三郎〕
烏羽玉(うばたま)
は大内家(おほうちけ)
の客分(きやくぶん)
の旗下(きか)
猫間(ねこま)
弾正(だんじやう)
宗連(むねつら)
の渾家(つま)
たるが 実子(じつし)
の愛(あい)
に溺(おぼ)
れ 夫妻(ふさい)
共(とも)
に養子(やうし)
祢津(ねづ)
太郎(たらう)
を悪(にく)
むに縡発(ことおこ)
り 因果(いんぐわ)
実子(じつし)
緑(みどり)
の市(いち)
に及(およ)
び 非(ひ)
業(がう)
の死(し)
を遂(とぐ)
る 故(ゆへ)
に烏羽玉(うばたま)
怨念(おんねん)
を飼猫(かひねこ)
に託(たく)
し 生(いき)
ながら魔道(まだう)
に沈倫(ちんりん)
して 大守(たいしゆ)
に仇(あだ)
せんと種々(しゆ/゛\)
の怪(くわい)
異(ゐ)
を顕(あらは)
し 神変自在(しんぺんじざい)
を働(はたら)
き 一時(いちじ)
は小猫(こねこ)
と現(げん)
じ 一時(あるとき)
は人身(じんしん)
に粧(やつ)
し 大守(たいしゆ)
に近寄(ちかよら)
んことを欲(ほつ)
す 是(これ)
巻中譚を(くわんちうものがたり)
発(おこ)
すの発端(ほつたん)
也 稗官 鶴亭秀賀記
義弘(よしひろ)の愛妾(あいせう)実(じつ)ハ於玉(おたま)の方(かた)〈2〉岩井紫若〕
於玉(おたま)
の方(かた)
は月形(つきがた)
九四郎(くしらう)
の妹な(いもうと)
れど 其意雲泥(そのこゝろうんでい)
の違(たがひ)
ありて 賢(けん)
にして貞心(ていしん)
深(ふか)
く 殊(こと)
に沈魚(ちんぎよ)
の粧(よそほ)
ひ有(ある)
により 大守(たいしゆ)
の御休息(ごきうそく)
と成(なる)
御寵愛(ごちやうあい)
竝(なら)
ぶ方(かた)
なく 時(とき)
めくと雖 (いへども)
下(しも)
を憐(あはれ)
むの心深(こゝろふか)
く 実(じつ)
に得難(えがた)
き女性(によしやう)
なるが 所謂(いはゆる)
美人薄命(びじんはくめい)
多(おほ)
きの習(なら)
ひ 且(かつ)
は舎兄(あに)
九四郎(くしらう)
の悪逆(あくぎやく)
の余殃(よわう)
によりてや 種々(くさ/゛\)
の禍災(わざはひ)
身(み)
に纏(まと)
ひ 偶得(たま/\え)
たる御子胤(おんこだね)
を流(なが)
し 一日(いちにち)
も青天(せいてん)
を視(み)
るの喜チ(よろこび)
なく 竟(つひ)
に非命(ひめい)
に死(し)
す 稗官 鶴亭秀賀記
〔大内家(おほうちけ)の忠臣(ちうしん)小森半之丞晴光(こもりはんのじやうはるみつ)〈4〉中村芝翫〕
晴光(はるみつ)は小森(もり)半左衛門(ざゑもん)晴宗(はるむね)の一子(いつし)にて 文武(ぶ)に長(ちやう)じ殊(こと)に忠孝(かう)無(む)二の壮夫(ますらを)なれば 登庸(とよう)ありて大内家(おほうちけ)の御側(おんそば)御用人(にん)を勤(つとめ)しが 大守(しゆ)へ不動尊(ふどうそん)御信仰(ごしんかう)をすゝめ奉り(たてまつ) 妖猫(ようみやう)の悪(にく)みを請(うけ) 渾家(つま)を気死(きし)させ実母(じつぼ)を殺(ころ)され 而(しか)も怪猫退治(くわいみやうたいじ)の鈞命(きんめい)蒙(かうむ)りながら 時至(ときいた)らず神変自在(へんじざい)に眼(まなこ)を昧(くらま)され 竟(つひ)に取逃(とりにが)すに至(いた)る 雖然猶も(しかりといへどもなほ)変化(げ)退治(たいち)の内命(ないめい)を得(え)て 粉骨碎身(ふんこつさいしん)の艱苦(かんく)を嘗(な)む 悼(いたま)しい哉(かな)此(この)人 稗官 鶴亭秀賀記
〔於玉(おたま)の方(かた)局(つぼね)春日野(かすがの)実(じつ)ハ春野(はるの)の妖猫(ようみやう)〈1〉河原崎権十郎〕
春日野(かすがの)は於玉(おたま)の方(かた)の局(つぼね)にて 性直(せいちよく)の女(おんな)也しが 一(ある)日(ひ)於玉の方の代参(だいさん)に行(ゆき) 途中(とちう)にて三毛(みけ)の小猫を連(つれ)来(きた)り 鐘愛(しようあい)なす縡恰(よあたり)も幼子(おさなご)の如し 此猫(このねこ)は緑(みどり)の市(いち)の乳母(うば)春野(はるの)か一念(いちねん)の猫(ねこ)たれば 自在(じざい)に変化(へんげ)して是も又大守(たいしゆ)に仇(あだ)做(な)さんと 先(まづ)春日野を殺(ころ)して其身(そのみ)春日野と変(へん)じ 玉垂(たまだれ)の怪猫(くわいみやう)と共(とも)に種々(さま/゛\)の暴悪(ぼうあく)を働(はたら)き大内家(おほうちけ)を倒(たふ)さんと罪(つみ)なきものを殺(ころ)す縡(こと)幾許(いくばく)そや憎(にくみ)ても猶(なほ)余(あま)り有べし 稗官 鶴亭秀賀記
〔半之丞(はんのじよう)の妻(つま)後(のち)の十六夜(いざよひ)〈3〉沢村田之助〕
十六夜(いざよひ)
は軍学者(ぐんがくしや)
東嘉兵衛正廣(あづまかひやうゑまさひろ)
の嫡女(ちやくちよ)
にして 始(はじめ)
の名(な)
は待宵(まつよひ)
といふ 正廣は小森(こもり)
の老母(ろうほ)
落葉(おちば)
と姉弟(きようだい)
たれば 半之丞とは従弟(いとこ)
の縁(えん)
あるにより 渾家(つま)
となれしが 姑女(しうとめ)
落葉(おちば)
は怪猫(くわいみやう)
の為(ため)
に喰殺(くひころ)
され 怪猫落葉と身を変(へん)
ぜしよりは十六夜(いざよひ)
の胎子(たいし)
を喰(くら)
はんと異(い)
病を煩す(わづらは)
により 父(ちゝ)
正廣(まさひろ)
蟇目(ひきめ)
の法(ほう)
を修(しゆ)
す故(ゆへ)
に 一旦障礙(しやうげ)
は去(さる)
と雖 (いへども)
猶々(なほ/\)
怪猫(くわいみやう)
十六夜(いざよひ)
を憎(にく)
み 種々(くさ/゛\)
の難苦(なんく)
を請(うけ)
させ 終(つひ)
に気病(きびやう)
に死(し)
なす憐べ(あはれむ)
し 稗官 鶴亭秀賀記
〔山口(やまぐち)
の城主(じやうしゆ)
大内権介義弘(おほうちごんのすけよしひろ)
〈4〉市村家橘〕
大守義弘(たいしゆよしひろ)は周防(すはう)山口の城主(じやうしゆ)にして 文武(ぶんぶ)に富(とん)だる良将(りやうしやう)なりしが 猫間弾正(ねこまたんじやう)の愛(あい)せし玉垂(たまだれ)の碁盤(ごばん)を得(え)てより 是(それ)が為(ため)に瞽者(こしや)緑(みどり)之市(いち)を殺(ころ)し 古(ふる)川検校(けんぎやう)を非命(ひめい)に死(し)なす故(ゆゑ)に屡怪異(しば/\くわいゐ)を做(な)すと雖 (いへども)不動尊(ふどうそん)の霊験(れいげん)によりて 少刻(しはらく)其(その)沙汰(さた)止(やめ)ど 猶(なほ)猫間(ねこま)の後室(かうしつ)烏羽玉(うばたま)が怨念(おんねん)の猫 乳母(うば)春野(はるの)が一念(いちねん)の猫等(ら) 何卒(なにとぞ)大守(たいしゆ)に仇(あだ)せんと神通自在(じんつうじざい)に七変化(しちへんげ)して 大守(しゆ)の心(こゝろ)を淫蕩(いんとう)させ 或(あるひ)ハ悪逆(あくぎやく)を勧(すゝめ)めて一旦(いつたん)大内家(おほうちけ)危(あやう)きに至(いた)らしむ 稗官 鶴亭秀賀記
〔老母(ろうぼ)落葉(おちば)実(じつ)は玉垂(たまだれ)の怪猫(くわいみやう)〈3〉関三十郎〕
老母(ろうぼ)落葉(おちば)は半左衛門の渾家(つま)半之丞の母(はゝ)なり 性来(せいらい)猫(ねこ)を憎(にく)みしか 半之丞の成田道(なりたみち)にて助皈(たすけかへ)りし黒猫(くろねこ)を愛(あい)すこと又(また)類(たぐ)なかりしかば 人僉(ひとみな)奇異(きい)の想(おも)ひを做(な)しけるに 奚(なんぞ)計(はか)らん 此猫(このねこ)は烏羽玉(うばたま)の怨念(おんねん)を託(たく)せし玉垂(たまたれ)の怪猫(くわいみやう)成(なり)しかば 人(ひと)知(し)らず老母(ろうぼ)を喰殺(くひころ)し其(その)身(み)落葉と変(へん)じ 栄花(えいぐわ)を極(きはめ)ながら大守(たいしゆ)に仇(あだ)做(な)さんとせしが 孝子(かうし)半之丞(はんのじよう)の為(ため)に正体(しやうたい)を現(あらは)し 小森の家(いへ)を立(たち)去(さ)る 稗官 鶴亭秀賀記