妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)

 明和8年(1771)正月竹本座上演の操浄瑠璃が原作となっている。作者は近松半二、三好松洛、竹田小出雲、竹本三郎兵衛。雄大な構想と、趣向に富んだ演出で、章句もすぐれており、王朝物の代表的傑作である。初演の翌年大坂で歌舞伎化され、江戸では安永7年(1778)春に上演された。

《あらすじ》蘇我蝦夷・入鹿親子の横暴な統治によって太宰と大判事両家が苦しみ、藤原鎌足等が様々な犠牲の末、入鹿を討伐するという大枠の中で筋が展開する。(三段目)この段は、和製『ロミオとジュリエット』とも言われている。吉野川に隔てられた大和国妹山と背山を背景して、妹山は太宰少弐国人の、背山は大判事清澄の領地であったが、両家は争いが絶えず不和であり、大判事の息子である久我之助と国人の娘雛鳥の恋は実を結ばずにいた。久我之助は横暴な入鹿大臣から臣下になれと命令されたが、父の介錯で切腹する。雛鳥も入鹿からの側室になれという強引な要求に応じず、自害する。ここでやっと両家の親の心も解け、雛鳥の首は形見の爪琴に乗せられ、吉野川を流れ久我之助に輿入れすることになる。(四段目)三輪の里杉酒屋の娘お三輪は、隣家へ越してきた烏帽子折の求女(実は藤原淡海)に惚れ、求女の所へ通う橘姫に嫉妬していた。ある日求女に糸巻きの糸を結びつけ、求女は求女で姫に糸を結び、それぞれ後を追う。入鹿の御殿にやって来た求女と姫だが、その御殿に漁師鱶七(実は金輪五郎)が上使としてやってくる。また、求女は姫に入鹿から宝刀を盗めば夫婦になろうと言う。そこへ、迷い込んできたお三輪は姫の恋敵と察され、御殿の官女達にいたぶられる。最後は、疑着(嫉妬)の相のある彼女の血が、入鹿討伐に必要と鱶七に刺され、お三輪は愛する人の為になると知り、それは本望と死んでいく。

《見どころ》三段目は「山の段」「吉野川」と呼ばれ、吉野川を挟んで久我之助と雛鳥のやりとりが美しく演出されている。舞台や演出も川を挟んでパラレルな構造を持ち、巧妙に舞台が運ばれる。二人の切ない思いのやりとりや、その後続く悲劇を盛り上げる。特に自害した雛鳥の首が嫁入りの形をとって川を隔てた大判事家に流れ着くという場面は「雛流し」といい、哀愁を誘う。四段目は様々な人間が交差し、盛り上がりを見せる。前半「道行」は、男女3人の恋模様を粋に表現する。後半「御殿」は、主にお三輪に焦点が置かれ、御殿で女官のいじめにあう場面や、彼女が髪を振り乱して嫉妬狂う演技が目を引く。