立命館大学アート・リサーチセンター所蔵
浮世絵名品展 第三期 出品目録
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役者絵評判絵 解説へ
無款(大判錦絵3枚続)            shiUY0295,0296,0297

「甲子待戯りやうじ」
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元治元年(1864)4月(改印=子四改) 

[1枚目]
<2>市川九蔵、<4>市川小団次、<1>市川小文次、<6>坂東三津五郎、<2>中村福助

[2枚目]
<5>坂東彦三郎、<6>市川八百蔵、<4>中村芝翫、<1>中村鶴蔵

[3枚目]
<2>岩井紫若、<3>沢村田之助、<2>沢村訥升、<1>中村鴈八、<4>市村家橘、<1>河原崎権十郎
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画中文字翻刻
嘉永3年(1850)6月に出版された歌川国芳の風刺画『きたいなめい医 難病療治』(参考図)の趣向をとったもの。国芳の絵では「やぶくすし竹斎の娘名医こがらし」が難病を抱える大奥の女中や老中に治療法を授けるという風刺であったが、ここでは「名医こがらし」の代わりに「病医者岡眼野八目(注)」が役者の欠点を治す治療法を授けている。「岡眼野八目」以外は全て役者であり、役者名は似顔と着物の柄から判別できる。
ここで挙げられる役者の欠点は当時広く世間に知られていたもので、絵の内容は誰もがわかるものであった。<5>坂東彦三郎が<6>市川八百蔵にふりかけている砂は「御土砂」と呼ばれ加持祈祷に用い、死体にかけると硬直が治ると考えられていた。<4>中村芝翫が贔屓を取られると心配している弟とは、愛敬がない事を悩む<2>中村福助のこと。<3>沢村田之助が言うぼんやりしている兄と座頭とは、<2>沢村訥升と<4>中村芝翫のこと。

(注)岡目八目
〔他人の囲碁をみている者は、対局者より八目先の手までよめるということから〕
 当事者よりも傍観者のほうが、物事の善し悪しや利・不利を正確に判断できること。

無款(大判錦絵3枚続)                      UY0238,0239,0240

「腕競東都之花形」

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慶応2年(1866)3月(改印=寅三改)

[1枚目]
<1>中村鴈八、<3>沢村田之助、<2>岩井紫若、<1>嵐吉六、<1>中村鶴蔵、<6>坂東三津五郎、<1>市川左団次、<4>市村家橘

[2枚目]
<2>松本錦升、<1>大谷友松、<3>市川九蔵、<3>関三十郎、<4>市川米蔵、<5>坂東彦三郎、<1>坂東太郎

[3枚目]
<4>中村芝翫、<4*>尾上栄三郎、<2>尾上菊次郎、<1>河原崎権十郎、<4>市川新之助、<1>坂東亀蔵、(役者名不明)、<2>沢村訥升、<6>市川団蔵
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画中文字翻刻
この作品では千両箱をどのように担いでいるかによって、当時の江戸劇界における各役者の地位を示す。千両箱を軽々と頭の上に持ち上げているのは既に「千両役者」の部類に入っていた役者、重そうに千両箱を持つ者はそこにまだ達していない役者である。
この絵の中で一番下級の役者は、千両箱を棒に吊し二人で担いでいる<1>中村鴈八と<1>嵐吉六。千両箱に座って休憩しているのは、舞台上でもあまり動かないことで有名であった<2>岩井紫若(<8>岩井半四郎)。積み上げられた千両箱の横に座って他の役者を見ているのは、当時の江戸劇界で重鎮として控えていた<1>坂東亀蔵と<6>市川団蔵。上部に描き込まれた役者の言葉に、各人の個性がうまく表現されている。
<1>左団次のいう「親父」と<2>尾上菊次郎のいう「亭主」は同一人物で、この年の五月に没する<4>市川小団次のことを指す。この絵の制作時期にはまだ病気療養中であったはずであるが、既に没した事になっているのは面白い。

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