元代末から明代初頭にかけて成立した『水滸伝』は、明代半ばには中国の多くの人々に膾炙される作品となり、我国へも江戸初期には伝来していたことが確認されている。宝暦7年(1757)に岡島冠山による翻訳本『通俗忠義水滸伝』が刊行されるが漢文調で読み辛く、文化2年(1805)に曲亭馬琴がより読み易い『新編水滸画伝』を刊行するが、版元を巡るトラブルから中途で頓挫してしまう。しかし馬琴は再びこの『水滸伝』に取組み、文政8年(1825)に『水滸伝』の豪傑108人全てを女性に置換えるという、大胆な翻案態度で執筆した合巻『傾城水滸伝』を刊行する。
 この『傾城水滸伝』が瞬く間にベストセラーとなったことにより、江戸の街に「水滸伝」ブームが沸き起こり、水滸伝の豪傑を描いた錦絵が売り出されたり、『新編水滸画伝』の刊行が再開されたりと、『傾城水滸伝』の刊行により我国でも『水滸伝』がより多くの人々に親しまれる作品へとなっていく。

100 傾城水滸伝       hay03-0529,03-0530,03-0531,03-0535

@中本 13編100巻50冊 合巻 A17.7×12.1 B曲亭馬琴作 歌川豊国画(2編以降は歌川国安画、13編は歌川貞秀画) C鶴屋喜右衛門 D文政8年(1825)〜天保6年(1835) 
E [
100a] 文政8年に刊行された初編の初版本。
  [100b
] 文政9年(1826)に刊行された初編の再版本。
 ・表紙が初版本とは異なるものが付けられ、初版本の表紙を袋として用いている。
  [100c
] 天保2年(1831)に刊行された初編の三版本。
 ・板木が摩耗したために、三版本を刊行した旨の文章が挿入されている。尚、今回展示したものは、松木平吉から刊行された明治摺のものである。
  [100d
4編から3編までの錦絵摺付表紙を廃して、簡易な体裁に改まる。
 ・袋の裏面にその旨を知らせる版元の言葉が載る。
 [100e
] 『水滸伝』の中でも著名な野猪林の場面を描いたもの。
 ・『新編水滸画伝』の挿絵を参考にして描いたものと考えられる。
 [100f
] 初版本の7編。通常の合巻の体裁である。
 [100g
] 鶴屋から松木平吉へ板木の所有が変わり、松木平吉から刊行された7編。
 ・なんらかの事情で板木が紛失し、通常の合巻とは異なり、文字だけの体裁になっている。

101 通@堪麁軍談        hayE3-0001

@中本 13編13巻13冊 艶本 A17.5×12.0 B淫水亭開好[柳水亭種清]作画 C未詳 D未詳 
E「漢楚軍談」の世界を借りて艶本にしたもの。表紙の意匠が『傾城水滸伝』の袋や表紙と似た意匠になっている。

102 金比羅船利生纜       hay03-0523

@中本 8編54巻26冊 合巻 A17.2×11.6 B曲亭馬琴作 渓斎英泉画 C和泉屋市兵衛 D文政7年(1824)〜天保2年(1831) 
E『傾城水滸伝』に先立って刊行された長編合巻で、こちらは『西遊記』を翻案した作品。色気に乏しく、『傾城水滸伝』ほどの人気は得ることができなかった。



103 新編水滸画伝        hay02-0039

@半紙本 9編90巻91冊 読本 A22.5×15.5 B曲亭馬琴作(2編以降は高井蘭山作) 葛飾北斎画 C角丸屋甚助 前川弥兵衛(2編は英平吉、3編以降は河内屋茂兵衛) D文化2年(1805)〜天保9年(1838)
E [
103a
] 『水滸伝』の中でも著名な場面の一つである野猪林での魯智深、林沖を描いた場面。尚、展示したものは馬琴が執筆した初編である。
[103b] 『水滸伝』ブームによって『新編水滸画伝』は作者を高井蘭山に変え、2編から刊行を再開した。今回展示した初編、2編とも再版本で、河内屋茂兵衛から刊行されたもの。7編以降の刊行年は未詳である。