寛政の改革により黄表紙の内容に取締りが行われ、従来の洒落を重んじる作風から忠孝を説くものへの転向を余儀なくされる。その結果、敵討物が流行し、話の筋の複雑化、内容の膨張が起こり、黄表紙の五丁を一冊とする形態からそれを数冊合わせて製本する合巻へと発展していく。当初はその書型も流動的で、黄表紙と同じ分冊形態のものなどが見られるが、次第に定着していく。
 初期の作品は敵討物を中心とし、式亭三馬や山東京伝などが活躍した。敵討物が衰退すると、歌舞伎を題材とするものが現れ、中でも柳亭種彦作『正本製』が成功を収めた。また、次第に内容が洗練されてくると長編化の傾向を辿り、曲亭馬琴作『傾城水滸伝』などが好評を博した。天保の改革による自粛期の後は、妖術を使う主人公の活躍を描いた『白縫譚』などの長編が人気を得るが、一方で好評を得た読本をダイジェスト版にしたもの、構成の雑なものなどが目立つようになる。

028 天狗利生/鬼児島名誉仇討 hay03-0421

@中本 8巻2冊 合巻 A17.7×12.7 B式亭三馬作 歌川豊国画 C西宮新六 D文化5年(1808) 
E合巻形態の『鬼児島名誉仇討』。表紙見返しに「草さうし合巻」と記し、横に「かふかん」と振仮名をふって、その読みを示した最も早い例である。

029 天狗利生/鬼児島名誉仇討  hay03-0422

@中本 8巻2冊 合巻 A19.4×13.7 B式亭三馬作 歌川豊国画 C西宮新六 D文化5年(1808) E中本の板木を使い、上製の紙を用いた上紙摺本。三馬の日記『式亭雑記』には、『鬼児島』と他の2作品を一緒にし、大合巻と称して売出したが失敗した旨が記されており、あるいはこの大合巻の改装本か。

030 釣鐘弥左衛門/奉加介太刀 hay03-0323

@中本 10巻10冊 合巻 A16.9×12.3 B曲亭馬琴作 歌川豊広画 C和泉屋市兵衛 D文化6年(1809)
E合巻の体裁がまだ固定化されていなかった時代には、一つの作品で合巻形態のものや、黄表紙形態ものと形態が異なるものが刊行されていた。今回展示したものはその一例で、黄表紙形態で刊行されたもの。

031 釣鐘弥左衛門/奉加介太刀  hay02-0064

@半紙本 10巻3冊 合巻 A21.9×14.9 B曲亭馬琴作 歌川豊広画 C和泉屋市兵衛 D文化6年(1809) 
E合巻の草創期には通常の合巻形態とは別に、上紙摺と称されるものが刊行されていた。今回展示したものが、そうした上紙摺のものの一例で、板木は中本の板木を用い、書型のみ半紙本型に変えている。原題簽、袋とも良好な状態で残っている点でも稀少である。

032 小曽野禄三郎/八重霞かしくの仇討    hay03-0218

@中本 7巻2冊 合巻 A17.9×12.8 B山東京伝作 歌川豊国画 C鶴屋喜右衛門 D文化5年(1808) 
E表紙に錦絵摺の絵題簽が貼り付けられており、黄表紙から合巻へ移行していく過渡期の合巻の表紙の体裁をよく残している作品である。

033 歌舞伎伝介忠義話説    hay03-0265

@中本 7巻2冊 合巻 A17.4×12.5 B曲亭馬琴作 勝川春亭画 C山城屋藤右衛門 D文化5年(1808) 
E通常の合巻の挿絵では薄墨を用いる事はないが、今回展示したものは例外的なもの。現在確認されている合巻の中で、挿絵に薄墨が用いられている唯一のものである。

034 比翼紋目黒色揚       hay03-0049

@中本 6巻3冊 合巻 A17.7×12.1 B曲亭馬琴作 歌川豊国画 C和泉屋市兵衛 D文化12年(1815)
E標準的な合巻の表紙の体裁を持つ作品。それまでのような絵題簽を貼り付ける形ではなく、錦絵摺付表紙を持ち、三枚続きの錦絵のように、上中下が続く意匠になっている。

035 正本製   hay03-0549

@中本 12編69巻25冊 合巻 A17.7×12.2 B柳亭種彦作 歌川国貞画 C西村屋与八 D文化12(1815)〜天保2年(1831) 
E本文を歌舞伎の台本風に、挿絵も舞台面らしくし、紙上に歌舞伎の舞台を再現させるという新機軸を打出した作品。この作品の成功で、作者の柳亭種彦は一躍人気作者となる。

036 前世ハ桂岸之丞現世ハ信濃や半次郎/おびやお蝶三世談   hay03-0153

@中本 6巻3冊 合巻 A17.4×11.9 B林屋正蔵作 歌川国貞画 C西村屋与八 D文政8年(1825)
E落語家で怪談咄の祖である林屋正蔵の手による合巻。正蔵は高座で、落し咄に続いて怪談咄を口演するのが常であったが、この合巻においても高座同様に簡単な落し咄の後に本編が始まるようになっている。

037 敵討/忍笠時代蒔絵     hay03-0091

@小本 4巻2冊 合巻 A15.3×11.0 B柳亭種彦作 歌川国丸画 C西村屋与八 西宮新六 D文政11年(1828) 
E文政10〜11年にかけて、「新形草紙」の名で西村屋与八と西宮新六が共同で刊行した小本型合巻シリ−ズの1種。新機軸を狙っての刊行であったが、さほどの人気を得ることなく終った。

038 風俗金魚伝     hay03-0515,03-0516

@中本 3編20巻10冊 合巻 A17.9×12.0 B曲亭馬琴作 歌川国安画 C森屋治兵衛 D文政12年(1829)〜天保3年(1832) 
E
038a 中国の小説である『金翹伝』を翻案し、合巻化した作品。展示したのは初編の初版本である。 038b 『風俗金魚伝』の異版としては、天保8年(1837)に森屋治兵衛と大黒屋平吉との共同で刊行された改刻再版本が知られているが、今回展示したものは、それ以前に森屋治兵衛から刊行された改刻再版本。従って、初版本、改刻再版本、天保8年の改刻再版本と3種刊行されたことがわかる。

039 小野小町浮世源氏絵 hay03-0598,03-0601

@中本 15編60巻30冊 合巻 A17.8×11.9 B山東京山作 歌川国貞画(10編以降は歌川国直画、12編は歌川国貞画、13編は歌川国直画、14編以降は<3>歌川豊国画) C森屋治兵衛 D天保元年(1830)〜嘉永元年(1848) 
E [
039a
] 小野小町に関する伝説や、小町が登場する歌舞伎などをもとにして書かれた作品。今回展示したのは、初版本の9編。仕丁の顔が、<5>市川海老蔵の似顔になっている。
 
[039b
] 刊年未詳の改刻再版本で、内容的には初版本の9編に相当するが、編数は8編に変わっている。挿絵も仕丁の<5>市川海老蔵の似顔が改刻され、似顔になっていないことから、天保の改革によって<5>市川海老蔵が江戸を追放されて以降の刊行と考えられる。

040 出世奴小万之伝       hay03-0488

@中本 4巻2冊 合巻 A17.7×11.9 B柳亭種彦作 歌川国直画 C鶴屋喜右衛門 D天保4年(1833) 
E表紙を挿絵担当の絵師より上位の絵師が描く事は、合巻ではよく見られる事例。今回展示したものもそのような事例の一つで、挿絵は歌川国直の担当であるが、表紙を葛飾北斎が描いている。

041 忠臣蔵宝物道化縁起    hay03-0196

@中本 1巻1冊 合巻 A17.5×11.8 B万亭応賀作歌川直政画 C川口屋宇兵衛 金屋友次郎 D嘉永元年(1848) 
E嘉永元年2月29日から高輪泉岳寺で行なわれた、釈迦八相曼荼羅の開帳に合わせて刊行されたもの。「忠臣蔵」所縁の品物を紹介する、いわゆる宝合せものであるが、この本の中で紹介される品物は、全ておどけた品物で、空想上のものばかりである。

042 白縫譚           hay03-0636

@中本 71編284巻142冊 合巻 A17.8×11.7 B柳下亭種員作(39編以降は<2>柳亭種彦作、66編以降は柳水亭種清作) <3>歌川豊国画(3編以降は<2>歌川国貞画、37編以降は歌川芳幾画、62編は歌川国周画、64編以降は歌川周重画、69編以降は歌川周延画) C藤岡屋慶次郎(14編以降は藤岡屋慶次郎と坂本屋新七との合版、22編以降は坂本屋新七、27編は坂本屋新七と広岡屋幸助との合版、28編以降は広岡屋幸助、61編以降は小林鉄次郎) D嘉永2年(1849)〜明治18年(1885) 
E合巻の最大長編の作品。幕末の合巻の初摺本の多くは、口絵部分に厚奉書を用いることが多いが、今回展示した『白縫譚』21編は、全丁に厚奉書を用いている。こうした事例は少なく、どのような経緯でこのような本が作られたか不明である。