曲亭馬琴の畢生の大作である読本『南総里見八犬伝』は、文化11年(1814)にその刊行が開始され、刊行が終了したのが天保13年(1842)、足掛け28年の長きにわたって刊行された。その間、作者である馬琴は、子息の宗伯、妻のお百を失い、また自らの視力も失い、文盲に近かった嫁のお路の手を借り口述筆記をするなど、まさに波瀾万丈の末に完成した作品である。
 このように、その執筆背景には様々な障害のあった『八犬伝』ではあるが、既に完結前から歌舞伎では度々上演され、完結から5年後に刊行されたダイジェスト本ともいうべき抄録合巻の『犬の双紙』、『仮名読八犬伝』によって、より多くの人々に愛好される作品となる。この他にも「八犬伝」の趣向を借りた人情本、後日譚を描く合巻の刊行や、「八犬伝」を画題とした錦絵の刊行と、幕末の文芸、演劇、絵画といったあらゆるジャンルに大きな影響を及ぼした作品である。

088 南総里見八犬伝   hay02-0049,02-0050

@半紙本 9輯98巻106冊 読本 A22.2×15.6 B曲亭馬琴作 柳川重信画(5輯以降は柳川重信画、渓斎英泉画、8輯以降は柳川重信画、9輯以降は<2>柳川重信画、渓斎英泉画、歌川貞秀画、歌川国貞画) C山崎平八(6輯以降は美濃屋甚三郎、8輯以降は丁子屋平兵衛) D文化11年(1814)〜天保13年(1842)
E[
088d] 俯瞰図的な描写で描かれた芳流閣の決闘。尚、この挿絵のある3輯巻5の本文は犬塚信乃と犬飼現八との決闘を予告し、4輯への期待をもたせたところで終っている。
[
088e] 4輯の口絵に描かれた芳流閣の決闘。こちらでは、犬塚信乃と犬飼現八をクローズアップして描く。今回展示したものは薄墨の入った再版本。
 
[088f]犬田小文吾が越後小千谷での闘牛見物の際に、暴れ牛を押し止める場面を描いたもの。
[
088g] 『北越雪譜』の著者鈴木牧之が馬琴に紹介した越後の闘牛の風習を、牧之の手による図をもとに渓斎英泉に描かせたもの。『八犬伝』の中で唯一、折込みになっている挿絵である。この牧之の報告をもとにして、馬琴は小千谷での犬田小文吾の件を執筆した。
 [088h] 女田楽旦開野と名乗って、親の仇である馬加大記の命を狙う犬坂毛野の姿を描いたもので、女装時の姿と、実際の姿を描く。この口絵では旦開野を傀儡師の姿で描く。
[
088i] 尼妙椿(実は古狸の変化)が、その妖術をもって、里見家の息女浜路姫の幻を蟇田素藤の前に出現させる場面を描いたもの。



089 仮名読八犬伝    hay03-0575,03-0576

@中本 31編124巻62冊 合巻 A17.9×11.8 B<2>為永春水作(17編以降は曲亭琴童作、28編以降は仮名垣魯文作) 歌川国芳画(28編以降は歌川芳幾画)C丁子屋平兵衛(7編、8編は丁子屋平兵衛、三河屋鉄五郎の合版、28編以降は広岡屋幸助) D嘉永元年(1848)〜明治元年(1868) 
E『犬の草紙』に対抗して、刊行された『南総里見八犬伝』のダイジェスト本。結果的には、『犬の草紙』ほどの人気を得ることは出来なかった。
[
089a] 屋上の犬塚信乃と信乃を召し捕ろうとする犬飼現八の姿を錦絵の縦二枚の形式を借りて描く。尚、表紙は芳流閣を描いているが、本文はそこまで至っていない。
 
[089b] 挿絵に描かれた芳流閣は、表紙のそれとは異なり、武者絵調で大胆な構図で描かれる。武者絵を得意とした国芳の面目躍如というべき挿絵である。
 
[089c] 『南総里見八犬伝』の6輯巻1の口絵を借用して、表紙にしたもの。多色摺になった事でもとの口絵とはまた異なった趣を持つ。
 [
089d] この表紙も『南総里見八犬伝』の7輯巻7の挿絵を借用して、表紙にしたもの。構図はほぼ同じものであるが、牛の描写がよりリアルなものになっている。
 [089f]
『南総里見八犬伝』9輯巻36の表紙の意匠をほぼそのままの形で裏表紙の意匠に利用している。
[
089g] <2>為永春水の後を継いで『仮名読八犬伝』の作者となった曲亭琴童は失明後の馬琴の手となり足となって手伝った嫁のお路の事で、22歳の若さで逝去した子息の太郎に仮託した筆名になっている。




090 犬の草紙   hay03-0570,03-0571,03-0572

@中本 56編224巻112冊 合巻 A17.7×11.7 B笠亭仙果作 <3>歌川豊国画(6編は歌川貞秀画、23編以降は<2>歌川国貞画、42編以降は歌川国綱画、49編以降は歌川国輝画、51編から56編までは順に<4>歌川国政画、歌川国利画、歌川国滝画、<4>歌川国政、歌川国輝画、<4>歌川国政画) C蔦屋吉蔵(初編、2編のみ松坂屋太平次) D嘉永元年(1848)〜明治14年(1881) 
E天保の改革以後、相次いで刊行された抄録合巻(読本をダイジェスト化して、合巻にしたもの)の先駆作。書名からわかるように『南総里見八犬伝』のダイジェスト化した作品である。
[090a] 『犬の草紙』では、初編の表紙に最も著名な場面である芳流閣の決闘の場面を用いている。『犬の草紙』は歌舞伎色が強いのが大きな特徴で、犬塚信乃は<8>市川団十郎、犬飼現八は<1>松本錦升の似顔になっている。
 
[090b] 『犬の草紙』は10編に至って、ようやく本文が芳流閣の場面になる。見開きの挿絵が上下に続くという特殊な形式で、上巻に屋上の信乃を、下巻に現八の姿を描く。尚、現八の顔には明らかに改刻の跡があり、もとは役者似顔になっていたかと思われる。 
 [090c]
犬山道節が湯島天神の境内で、歯磨き売りをしている犬坂毛野と再開する場面を描いたもの。当時の歯磨き売りは、この表紙からわかるように軽業を披露しながら商品を売っていた。
 
[090d] 庚申山で犬村一角に化けている怪猫を、犬飼現八が弓で射る場面。役者絵調の平板な描写になっている。






091 犬夷評判記         hay03-0666

@横本 3冊3巻 評判記 A12.6×18.3 B曲亭馬琴答述 三枝園主人批評 檪亭琴魚考訂 柳川重信画 C山崎平八 D文政元年(1818) 
E曲亭馬琴の読本『南総里見八犬伝』、『朝夷巡島記』を、馬琴と親交の深かった伊勢の豪商殿村篠斎が批評し、これに対して馬琴が答えたものを、篠斎の弟で馬琴の門人でもあった檪亭琴魚が校訂して刊行された作品。本文は役者評判記のスタイルを真似ている。江戸期に唯一公刊された小説評論で、その存在意義は大きい。

092 八犬伝後日譚        hay03-0608

@中本 7編28巻14冊 合巻 A17.6×11.8 B<2>為永春水作 歌川国芳画 C山本平吉 D嘉永6年(1853)〜安政4年(1857) 
E書名のとおり、八犬伝の後日譚を描いた作品で、『南総里見八犬伝』で活躍した八犬士の子孫が活躍する設定である。展示箇所は『南総里見八犬伝』9輯巻53の挿絵をもととした図で、仙人になった八犬士を描いたもの。

093 今様八犬伝         hay03-0611

@中本 6編24巻12冊 合巻 A17.6×11.6 B<2>為永春水作 歌川国芳画 C蔦屋吉蔵 D嘉永5年(1852)〜嘉永6年(1853) 
E嘉永5年正月の市村座での「里見八犬伝」上演に基づく、見たまま風の合巻。こうした形式の合巻は、正本(歌舞伎の台本の事)を写したという意味から、正本写合巻とよばれる。

094 [花乃しらつゆ]       hayE4-0002

@横本 1冊 艶本 A9.1×12.6 B未詳 C未詳D未詳 
E元は小判の錦絵の組物であったものと考えられる。伏姫や八犬士、山林房八といった主要な人物達の情交図を描き、一部の男性の顔は役者の似顔になっている。

095 枕辺深閨梅         hayE2-0012

@半紙本 2巻2冊 艶本 A22.1×15.5 B好色外史[花笠文京]作 一妙開程芳[歌川国芳]画 C未詳 D未詳 
E書名からわかるように、馬琴の合巻『新編金瓶梅』を艶本化したものであるが、本文と全く関係のない『南総里見八犬伝』の芳流閣の場面を描く。

096 犬塚縁起八藤士伝     hay03-0383

@中本 2巻2冊 合巻 A17.7×12.0 B一亭万丸作 歌川貞虎画 C蔦屋吉蔵 D天保10年(1839) 
E「八犬伝」の趣向を借り、名字に藤の字がつく8人の勇士が活躍する物語。当時評判になった「八つ藤」という名の藤の花を当込んだ作品か。

097 貞操婦女八賢誌       hay03-0649

@中本 6輯9編29冊 人情本 A18.2×12.0 B為永春水作(4編以降<2>為永春水作) 歌川国直画(2編は渓斎英泉画、7編以降は歌川貞重画) C大島屋伝右衛門 D天保5年(1834)〜嘉永元年(1848) 
E『南総里見八犬伝』の趣向を借りて人情本に仕立た作品で、八犬士に変わり八賢女が活躍する。尚、9編のみ刊年未詳。

098 里見八犬伝         hay03-0657

@中本 2巻2冊 上方絵本 A17.1×11.3 B長谷川小信画 C綿屋徳太郎 綿屋喜兵衛 D未詳 
Eこの絵本は通常の木版摺ではなく、型紙を置いて彩色するカッパ摺という、上方を中心にして発達した技法で摺られたもの。

099 実録文庫/南総里見八犬伝 hay03-0677

@中本 2巻2冊 明治戯作 A17.8×11.6 B春風亭香雨作 秀月画 C和田篤太郎 D明治18年(1885) 
E芳流閣の決闘を中心にして纏められた作品で、ほぼ各頁に挿絵があり、合巻に近い形態をもつ。尚、この本は、木版ではなく活版印刷で作られたものである。

錦絵「八犬伝犬の草紙」

 嘉永5年(1852)9月から12月にかけて刊行された大判錦絵50枚揃のシリーズで、八犬伝の主要な人物を歌舞伎役者の似顔で描く。版元である蔦屋吉蔵から既に刊行されていた『南総里見八犬伝』の抄録合巻『犬の双紙』の流行と連動しての企画ではあるが、それだけではなく、嘉永5年の市村座の正月狂言として上演された「里見八犬伝」が大当りをとったこともこのシリーズの刊行の一因と考えられる。
 尚、このシリーズで描かれた役者は、全てが当時現存していた役者ではなく、物故者を含めての、理想的な配役で描かれた作品で、今回展示されている船虫の<5>瀬川菊之丞、犬田小文吾の<5>市村竹之丞は、刊行当時、既に没していた役者達である。

a 「八犬伝犬のさうしの内」   UP0129

「蟇六娘浜路 <3>岩井粂三郎」 
@大判錦絵 A36.0×24.6 B<2>歌川国貞画 C蔦屋吉蔵 D嘉永5年(1852)

b 「八犬伝犬之草紙廼内」  UP0133

「犬川荘助義任 <4>市川小団次」
@大判錦絵 A36.0×25.5 B<2>歌川国貞画 C蔦屋吉蔵 D嘉永5年(1852)

c 「八犬伝犬のさうしの内」 UP0131

「毒婦船虫 <5>瀬川菊之丞」
@大判錦絵 A36.0×25.2 B<2>歌川国貞画 C蔦屋吉蔵 D嘉永5年(1852)

d 「八犬伝犬の艸紙の内」 UP0130

「角太郎が父赤岩一角 <5>市川海老蔵」
@大判錦絵 A36.0×24.9 B<2>歌川国貞画 C蔦屋吉蔵 D嘉永5年(1852)

e 「八犬伝犬の草紙の内」 UY0150

「房八女房おぬい <2>尾上菊次郎」
@大判錦絵 A36.7×26.0 B<2>歌川国貞画 C蔦屋吉蔵 D嘉永5年(1852)

f 「八犬伝犬の艸紙の内」 UP0134

「犬田小文吾悌須 <5>市村竹之丞」
@大判錦絵 A36.1×24.9 B<2>歌川国貞画 C蔦屋吉蔵 D嘉永5年(1852)