安政期(1854〜1860)に入ると、四代目市川小団次と提携した二代目河竹新七(後の黙阿弥)が台頭し、現在でも上演頻度の高い作品を次々と書き下ろしていく。この「八幡祭小望月賑」も小団次が関わった作品の一つで、それまでの不入りを挽回し、大当りをとった。現在では縮屋新助の筋のみ上演されるが、初演の際には「切られ与三郎」の世界で上演され、亡き八代目団十郎の当たり役であった与三郎役を弟の初代河原崎権十郎(九代目団十郎)が勤めた。75は、九代目団十郎が、八代目の追善興行のため大役ながら与三郎役を勤める、という旨を記した口上図。
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