chushingura
&
mitate
忠臣蔵見立錦絵
当世忠臣蔵 初段 岡本屋内豊岡
大判錦絵1枚
歌川国安
文政8年(1825)頃
UP1129
絵の背景に大序の場面を描き、背景の中央に遊女の姿を配置することにより、この遊女を単に遊女として描いただけではなく、顔世御前にも見立てているという二重構造を持つ作品。岡本屋は新吉原京町にあった妓楼。豊岡は岡本屋抱えの高位の遊女であった。参考図に掲げたのは、大序の顔世御前を描いた作品。
(参考図)
忠臣蔵大序 其一 かほよ御ぜん
かほよ御ぜん(6)岩井半四郎
大判錦絵1枚
(3)歌川豊国
嘉永5年(1852)
UP0189
絵兄弟忠臣蔵六段目
大判錦絵1枚
歌川国貞
天保初期(1830〜1834)
UP0510
中央の女性を忠臣蔵の登場人物に見立てたシリーズで、背景には各段の名場面が描かれる。本作品は鏡台に向かい化粧を直す女性を、六段目の身売りの前に支度を整えるお軽の姿に見立てたもの。背景には迎えの駕籠を待たせ、別れを惜しむお軽と勘平の姿が描かれる。この作品のように、鏡台に向かって身繕いをする女性の姿は、美人画で盛んに取り上げられた題材であった。
風流美人絵兄弟 忠臣蔵八段目
大判錦絵1枚
菊川英山
文化9年(1812)
UP1127
コマ絵に描かれるのは、道行の途中で富士山が見える峠にさしかかった八段目の一場面である。コマ絵の戸無瀬と小浪を、美人と子どもの姿に転じ、まったく異なる両者を同じ構図で描いたところに、この作品の趣向の面白さがある。美人が手にもつ長い巻物は、戸無瀬が腰にさす大小の刀を、子どもが手に持つ傘と小さな梵天は、小浪の傘と杖を、それぞれ暗示している。
風流忠臣蔵 七段目やつし
大判錦絵1枚
歌川豊国
文化7〜8年(1810〜1811)頃
UP1092
文を渡す娘とそれを受け取る美人を、七段目の力弥書状持参の場に置き換えたもの。参考図に見られる由良之助と力弥の構図をほぼそのままに踏襲しながら、性別を女性へと転化させている。「やつし」と呼ばれる見立て方は、手法として単純であるが、七段目の該当場面を重ね合わせて鑑賞することにより作品はいっそう奥深いものとなる。
(参考図)
忠臣蔵 七段目
由良之助(7)嵐雛助
力弥(1)市川幸団二
中判錦絵2枚続
絵師未詳
明治3年(1870)3月筑後芝居
UP1112 UP1113
見立忠臣蔵 四段目五段目
大判錦絵1枚
歌川芳虎
弘化4年〜嘉永元年(1847〜1848)
shiUY0294
この作品は、美人を「仮名手本忠臣蔵」の登場人物に見立てた揃物の一つ。コマ絵には四段目の大星由良之助と、五段目の斧定九郎を描くが、美人が傘を手にしているので、この美人を定九郎に見立ていることがわかる。定九郎の着る黒羽二重と破れた蛇の目傘は、五段目を象徴するものとして、他の見立絵にも効果的に用いられている。
忠臣蔵五段目
大判錦絵1枚
喜多川歌麿
享和2年(1802)以前ヵ
UP0538
与市兵衛は娘のお軽を売って得た五十両が入った財布を持って夜道を急ぐ途中、山賊となった定九郎に財布を奪われ、殺されてしまう。本作品では、コマ絵からもわかるように、手前の女性の持つ網に入った果実を遊女が奪い取ろうとする情景を、五段目の与市兵衛と定九郎の姿に重ね合せた作品。後ろの屏風に描かれる松の木も、五段目で重要な役割を果たす松の木に因むものである。
木曽街道六十九次之内 大井 斧定九郎
大判錦絵1枚
歌川国芳
嘉永5年(1852)
UP0536
木曽街道の宿場名から連想した様々な題材を描いたシリーズ。本作品では、五十両の金を持って夜道を急ぐ与市兵衛を、斧定九郎が呼び止める五段目の一場面を描く。定九郎が与市兵衛にかける「オオイオオイ」の呼び声と、宿場名の「大井」とが掛けられている。画題の枠の部分には、定九郎の蛇の目傘、勘平の鉄砲、与市兵衛の笠、財布、提灯、杖があしらわれている。またコマ絵に描かれているのは、大井宿の風景である。